FUMI

日記/葉書 など

住んでいた家の話

みんな知らないと思うけど、わたしは和歌山の出身で、幼稚園年長のときに引っ越した古くてかわいいおうちに、猫と、でかい金魚と、両親と姉と、長いこと暮らしていた。

知り合いの設計士の方と大工さんが丁寧に張り替えた床はつやつやしていて、若くて綺麗だった。

天井の高い平家だったが、小さな屋根裏の部屋があって、私は入ったことがなかったけれど、白い蛇が出たことがあると大工さんたちの間で噂になっていた。

私はそういうお家に住んでいた。

冬は寒くて夏は暑くて、台風が来たら窓を塞がなくてはいけないようなおうち。

大家さんは向かいの大きな家に住んでいる農家の夫婦だった。わたしたちは、彼らを親しみを込めておっちゃん、おばちゃん、と呼んだ。ふたりはいつもコメディタッチな喧嘩をし、そのたびにエネルギーを奮って私たちにその様子について伝えた。

おっちゃんは歯が抜けていてどこかぼんやりとした人で、でもおばちゃんと言い合っている時は生き生きしていた。2人が本当には憎しみ合っていないことをわたしたちはなんとなく知っていた。

おばちゃんは出会った時からずっと、長いグレーの三つ編みをふたつさげていた。おばちゃんのどこか強い猿っぽい顔にそれが似合っていたかと聞かれればちょっとわからないけれど、その風貌は絵本に出てくるお婆さんのようで私は好きだった。

そのおばちゃんが突然、不揃いなボブヘアになってわたしたちに野菜を持ってきた。へへっと笑い、独特のしわがれたこえで「昨日喧嘩してねえ、もうええ!ゆうて三つ編みのまんま切ったんよ」と言った。

私たち家族は衝撃を受け、この話はずっと語り継がれた。それにしても、ハウルかよと今になって思うのだけど、しかし彼女がハウルの動く城を見たことがあるかは怪しかった。

おばちゃんの手の爪には黒い土がたくさん詰まっていて、人間の手ではないように大きくてゴツゴツして赤かった。おばちゃんの作る野菜はおいしかった。時々招かれて遊びに行ったおばちゃんの家は猫屋敷化していて、そこらじゅうに猫がいた。玄関はなんだか独特な匂いがした。いつもくれる梅のジュースはあまり美味しくなかった。

ある日、わたしや姉がまだ小学生の頃に、おっちゃんが死んでしまった。おっちゃんはタバコを吸いすぎていたし、病気のあることも知っていた。私は泣いたりもしなかったと思う。まだ、人が死ぬということを分かりきっていなかった。だから、おらん!なんで?!と驚くことの方が、悲しみの数より多かった。

おばちゃんが泣いているのも、見たことがなかった。ただなんだかおばちゃんはおっちゃんが死んでからなんだかしょんぼりとしていた。覇気がなくなったというか、そういう感じだった。喧嘩する相手がおらんようになったわ、と言っていたことを母から聞いた。

いつだったか、おばちゃんやその娘のユカちゃん、その息子のレイくんたちをうちに招いて、鍋をしたことがあった。わたしは来客は苦手だったが彼女たちには慣れ親しんでいたし、レイくんは当時わたしたち小学生の憧れの的のミスドでバイトしていた。しかも彼は東京に暮らしていて、確かにすらっとして綺麗な顔立ちだったように思う。レイくんはわたしたちと飽きずにずっと遊んでくれた。

おばちゃんも楽しそうだった。私は嬉しかった。

私は彼らが恥ずかしがらず臆せずにゲラゲラと笑う様が好きだと思っていた。

おばちゃんが階段かどこかで転んで足を怪我してしまい、ユカちゃんたちの家で暮らすことになってから、おばちゃんの姿を見ることはめっきり少なくなった。

そのうちにわたしも家を出て寮で暮らすことになり、次の年には姉も東京の大学に出てきて2人で暮らすことになった。

おばちゃんとはだから、しばらくもう会っていなくて、噂でだけ、乱暴すぎるうちの猫に怒っているとか、そんなことをときたま聞いた。

今朝電話が鳴って、母親の声がして、私は寝ぼけていたからウダウダと駄々をこね、学校に行きたくないだの、寒いだのと20分ほども繰り返していた。

「あ、そう。ふみちゃんあのね、おばちゃん亡くなりはってん」

私は上体をすこし起こして、えっ、と言った。びっくりして目が覚めた。

「患ってるの、黙ってるわけじゃないけど別にまだ言わんでもええかと思ってたんよ。おばちゃんもっと元気でいててくれると思ってたんよ」

お母さんはわざと淡白な声を出しているようだった。

「昨日お通夜やってんけど、泣いてしまうから行きたくなかってんけど、やっぱりめちゃくちゃ泣いてしまった」

お母さんは続ける。

「黙ってなくてもええかと思って」

わたしは、なんだか色んなことを思い出していた。ぶつ切りされた三つ編みのことや、おばちゃんの家のことや、猫や、レイくんのことなど思い出した。

レイくんは和歌山に帰ってきて、おばちゃんの家を改装して料理のお店を開くそうだ。

お腹が空いたら行ったらいいね、と母は言った。私もそうしたいと思った。

学校に遅れるので急いでご飯を食べ、急いで準備をして電車に乗ってから、思い切り泣いてしまった。せっかく大好きな人に会うから施した化粧の目も崩れてしまった。

今日はとても晴れています。寒くて暖かいです。

私は好きな人に、4日ぶりに会いに行きます。