回想・森
みどりいろの坂・毎日通っていたそれの、おそろしい小さな森が、気がつくと刈られてがらんとしていた。そこには大きな動物も、死体も、あの日横たわって見え隠れしていた壊れた古い自転車ですらも、姿がなかった。
森がまだ生きていたころ、裏側のほうからは人がひとり、通れるくらいの穴があいていて、いつかそこに入り込もうと約束をした友達も、小さなきっかけから腹を立てて連絡をとらなくなったきり、思い出すことも無くなった。
ヘルメットを被らずに登校した中学校の通学路、毎日飽きるほど一緒にいた響子と更に話すために通った学習塾、そこの匂い、お風呂上がりに急いで準備してペンケースを忘れ、まだ濡れた髪で講師に筆記用具を借りていたこと。
私の育ったこの土地には妙な怪しさがあって、夜中外に出るのはまだ少し怖い。のほほんとした昼間の光に、ひょいと包丁を持った不審者や危険な動物が、出てくるような気がするのだ。
集団下校は区分が違う響子と話せないので大嫌いだったけれど、不審者が頻出していたあのころに、制服の下で剥き出しになっていた細い足が、どれだけ乾いた人の目に触れるものであったのだろうかと思うとすこしぞっとする。
最初に書いた、通学路の途中の左側の森には、なんだかそういう類いのおそろしさがあった。
おもしろ半分で近所の友達や年上の女の子と作り上げた妄想の話しが、肥大して自分の脳内で色づいていくのがわかった。
森の濃い緑のなかに小さい動物がいつも出入りしては姿を消すことや、壊れた自転車が入り口の奥に倒れていたことや、明らかに人間の歩いた跡があったことなどがわたしたちの幼い怖いもの見たさをヒートアップさせた。
ひとりで森の横を通るときは、心なしか早足になっていた。坂の上まで登った先のお地蔵さんから森を見下げると、なんだか少し安心したような気にもなった。
森の木がいきなり刈られたのは、わたしが中学生になり、坂を避け最短ルートをゆくようになってからだった。だから気がついたのも遅かったのだろう。
森のあったところはただの空き地となり、こんなに狭かったのか、とまで思わせるほどに、窮屈そうに新しい団地や畑にはさまれていた。
友達の家やガソリンスタンドのある向こう側が肉眼で見えた。
おおきかったものはちいさくなり、おそろしかったものはおそろしくなくなっていく。
それは救いでもあるし、ある種の切なさを覚える時間というものの事実でもある。
あそこには本当に幽霊が住んでいたのだろうか。
大きな動物も奇妙な生き物も、ほんとうにそこで息をしていたように思えて仕方がない。
肌に感じていたはずのおそろしさは、ただ空き地を吹く風になった。
すっかりそんなことすら忘れていたわたしの頭では、森の中で幽霊も動物たちもあの頃のわたしも、細い身体でふらふらと歩いているような気がしてまた、すこしぞっとする。